昭和四十八年九月九日
X御理解 第六十六節「人間は勝手なものである、如何なる知者も徳者も生まれる時には、日柄も何も言わずに出で来ておりながら、途中ばっかり日柄が吉いの凶いのと言うて、死ぬる時には日柄も何も言わず駆けつけて去ぬる」
教祖様の御理解にしては、一寸風刺が効き過ぎる感じ、皮肉な感じがします、人間は勝手なもんだと、生まれて来る時にはそれこそ日柄も方位も言わずに、生まれて来ておりながら、その途中ばかりを日柄方位を見て、とこう言う本当にお道の信心を頂くとその、なら天地の親神様でも、生き神金光大神様からでも、そう言う皮肉なこと言われる事のない、生きかたが出来るのが金光様の信心だと思うのです。
もう椛目の頃から参って来ておる方ですが、昨日それこそ月の内に何回しか参ってきなはらんですけど、昨日お参りをしてきた、今度家を建て直します、家を建てなければならん、ところが現在井戸をセメントで塗り潰してしまって、只その上に風呂場が出来るようになる、それで水神様を上げて貰わねばならん、只神主を頼んで水神上げをせねばならん、こちらの方は金光様になる、こちらの方の入口を崩してますから、お粗末御無礼のないようにお願いします。
と言うから、そう言う事を言う事が御無礼じゃないか、いつもその方は、今敬神会におみえになります、ここえおかげ頂いております、それはいつもお話は頂きよりますが、やっぱり他の者がそう言うからとこう言う、だからね神主を雇う事はいらん、使い勝手の吉い家相と言う、使い勝手の吉い方に門口をつけたり裏口をつけたり、勿論今まで御地内を穢したり汚したりした事はお詫びをしなければならない。お神酒を頂いてかえってね、家を解いた後よく神酒をふってまわって今まで使わして貰った、お礼を申し上げなさい。そうすれば例えば井戸の上に風呂場かこようが、又は門口が何処に来ようが、心配はいらんからと言うてご理解を頂きました。
ここにお参りしてお願いしてご理解を頂かねば、安心が頂けませんと言うて、お神酒を頂いて、帰ってもう二十年も信心して、お話も充分頂いて居りますけど、愈々家を解いて家を建てて、今までのお礼を言わずにこれから建てなければならんとが、縁起が吉いように繁盛する家になるように、例えば鬼門を言うたり金神様を言うたり、水神上げをする只これからのお願いをするだけに、今までのお礼を、やあお礼を言う喜びで、例えば不浄御無礼お粗末があっても、神様はお許し下さる。
だからお礼を申し上げてだから自分の気の済むように今日はここで御神酒を頂いて帰りなさい、そしてその御神酒を御地内に振って廻って、何十年か知らんけど昔の大きなお家ですから、しっかりお礼を申させて頂きなさい、と言うて申しました事です。勝手なものだとはそう言う事だと思いますね、今までの事はお礼を言わずにお詫びもせずに、ただこれから建てる家のための願いだけをする、勝手なものである。この方はもう礼をすると言うこと、お詫びをすると言うこと、それをやっぱり許してやりたいのが親心、お礼を言えば、又やりたいのが親心じゃないかとおっしゃる。
それをおれいいわなきゃお詫びもせず、只水神様を上げれば、こうやって神主さんに来てもろうて、ごじやごじや云って貰やそれで気が休まる、そう言う事ではおかげを頂くと言う事は絶対ない、ですから永年ご理解を頂いておりますから、改めて頂けば本当のこととわかるわけです。
昨日吉井の波多野さんが朝の内に参って見えて、親先生、昨日が私の六十六才の誕生日、これが本当に六十六、合楽では六つと言う字はね、徳と仰るのですから徳の上にもまた徳を頂く、六十六才ですから今年こそお徳を頂く信心を一ちょ頂かにゃん、と云う訳なんです、頂くこつばかり、私はそれを聞かせて頂きながらね、私が今満五十九才ーーしてみると波多野さんの歳まで生かせて頂くと、まあ七年間生かせて頂くと思うたらね、それこそ神様からいつお引き取り頂くやら、お国替えのおかげ頂くやらわからんのに、いうならば波多野さんの六十六才迄生きたら私はまあ七年間生きられる。
そう思うたらね私自身が、五十九才迄生きておる事の、とても願い段じゃない、これは本気で私自身がお礼申し上げねばならんと云う話しをしました。親先生もう本当にそれどこじゃない、もうお徳を頂かんならん、おかげを頂かんならん信心じゃ駄目だと、もう六十六と云う徳に徳が、六と六が重なるから、いわゆる徳に徳が重なる、と云うだから今年はどうでもお徳を頂かにゃならん、お徳を頂かして下さいとこう云う。
おかげを頂かして下さいと云うて、云うおかげよりもです、お礼を云うて又やらにゃおられんと云う、云うなら働きが生まれて来たのが、本当のおかげであり本当のお徳だ。
例えばなら私どもおかげ頂かんならんから、一生懸命信心したのではなかった、只今日ただ今のいわゆる手元のところを大事にさせて頂くと云う事、私昨日波多野さんの事をお取り次ぎさせて頂いて、私自身がそうおもったんです。
なら例えば満五十才の方がです、私が五十九才で生きておる、親先生のお年まで頂くならまだ九年間生きられる、それには今日五十ご才まで生きておることに対する、しっかりお礼を申させて頂かねばならんと云う心が、湧くのじゃないでしょうか、今日お目覚しお生かしのおかげを頂いておると云うこと、私はまあ波多野さんの年まで生きれば、未だ 波多野さんの場合は六十六、まだこれからうんと長生きしてから、未だ徳を受けておかげをお受けになると、こう云うわけです。
けども私が、五十九才の私が聞かせて頂くと、波多野さんの年までお生かしのおかげ頂きゃやまあ、七年間だけ生かして頂けるんだと云う事、してみるととてもとてもお願いどころじゃない、お礼を申し上げなければおられないとこう云う、今日丁度開かせて頂いたら六十六節である。だから此処はね人間は勝手な者ぞとこう云われる、只お礼を云わずどうでもこうでも、お徳をうけにゃならんしかもしかも今年はどうでも、六に六が重なる年じやから、お徳をうけにゃ、ちょっとでもこのおかげを頂かにゃならん、おかげを本当に頂かせて頂くことはーーー。 ─────────────────────────────────
昨日大城の中垣さんと云う方なんです、その水神さんを引き上げると云う願いをされたのは、ですけれどもそれこそ御自分が大城に嫁入ってみえてから、この方だけでもやはり何十年と云う永い間、古い家の事ですからもっともっと永いことでしょうけれども、ここにこうやって住まわせて頂いて、そしてお粗末御無礼云うなら、みだりに大地を穢すなと仰るけれども、穢しておるところも沢山あろう、今日までいえば平穏無事におかげを頂いて来た事も有難い、ならばです有難いと云うその何十間と云う永い間、此処に住まわせて頂いたと云う事にお礼を云う。
鬼門の金神様と云うような、天地に対する御無礼な事を平気で云われる事を改めて、お詫びさせて頂いて只今迄の水も沢山使わせて頂いた、御地内の自由自在に使わせて頂いたことを、お礼申し上げて此れからまた新たに建てさせて頂くと云う事になれば、そのお礼と云う心で此れからおかげ頂くんだ。
六十六才迄のお生かしのおかげを頂いて、本当に今日お誕生のおかげを頂いて、今日までお生かしのおかげを頂いて、有り難うございましたと心からお礼を申し上げるならば、此れからのことは神様がおかげを下さる。今年は六十六才になったから、お徳を受ける年だからどうでもおかげを頂かんならん、おかげ下さいと云う、お徳下さいと云うよりも、お礼を。
そう云う願いが勝手な願いではなかろうかと、私は改めて思わして頂いた、人間は勝手なものだ、お礼を云うところをお礼を云わずに、お詫びをせにゃんところをお詫びもせずに、そして只自分の願い思いだけを申し述べるというのでは、お道の信心に惇ると云うような気が致します、教祖様のご理解にあっては辛辣な皮肉だと思うです、人間ちゃ勝手なもんだと、後先の事は神ながらでしておきながら、その中だけがちゃがちゃ我儘勝手な事を云う、その中をこそ大事な事である。そこを実意丁寧神信心、天地の大恩を徳と分からせてもろうて、天地の大恩徳に対し奉る、感謝の生活さえさせて頂いとけば後先の事は、おかげになるのだけれども只、真ん中の事だけ例えば難儀なことだけを、どうぞおかげを下さいと云うような事では、やはりひにくられても仕方がない。お道の信心ぶりと云うか、本当にお礼を第一、人間生身の事ですからどこにお粗末ご無礼があるやらわかりません。そこんところを平身低頭一途な心でお詫びさしてもろうて、それでも痛い痒い、ときには神様痛う御座います、痒う御座いますと云うて願えば摩っても下さろう、掻いても下さろう、けれどもまず根本になるものは、まずお礼だと思います。
只それこそ百年も何十年も使わして頂いたであろうそのお家のこと、古い家の事又は、その御地内の事、それを本当云うたらお神酒どんこうこうやって振ってから、お礼やらお詫びをした位では実はたらんのだけれど、こんな事では相済まんのだけれどもそれこそ厚いそれこそ、神様にお礼のお届けでもさしてもろうて、そして又新しい家を此処に建てさせて頂きます、永い間使わせて頂いた井戸でもございます、そのことのお礼をどうぞ神様に天地の親神様にお礼を申し上げる、お取り次ぎを願うと云うような、私は姿勢がね金光様の信心をさせて頂く者の姿勢、金光様の御信心振りと云うものが身につかなければ、所謂勝手な事になって来るのではないか。
只勝手気儘自分の願いを申しのべると云う信心から、心からお礼申し上げる、お詫びさして頂いて、有難い有難いのなかにそれこそ、神様は願わんでもおかげ下さるようなおかげを頂けれる、生活にならせて頂かねばならんと思いますね。どうぞ。